YPP月曜メール 私の思うことvol.440 【人として生まれたのは奇跡的なこと】
おはようございます。
日本列島各地で寒い朝を迎えているようです。
(とはいえメンバーさんで最南端にお住まいの方は、本日の最高気温が20度。羨ましい)
さて私事ですが
昨年末に同居の義母が急逝し
年の瀬にあわただしく、葬儀等がありました。
早いもので四十九日となり
この三連休に無事、納骨を済ませてきました。
法要のあと、お坊様がお釈迦様の教えとして話してくださったことが
とても印象に残ったので今朝はそれをシェアさせていただきます。
仏教では「縁」というものを大切にしています。
なぜなら、、、
『人としてこの世に生を受けるということは、
天の高いところから糸をたらし、荒れ狂う海を通過して、海底に沈む針の穴に糸を通す。それぐらいに希少なことである』。
だからこそ
『この奇跡的な確率で生まれてきた自分を大切にし、
その自分を世に産んでくれた元となる親を大切にし、
その元となるご先祖様を大切に、また兄弟姉妹を大切にし、
学校や職場、ご近所などで出会った人を大切にするように』と。
海の上から糸をたらし、海底にある針孔を通すとは
不可能としか思えないことですが
それぐらいに「人として生まれることは希少だ」という教えなのだそうです。
人として生まれて生きたこと自体が
大変恵まれていることだとすれば、
さらに
戦火に日々さらされるわけでもなく
命の危険があるわけでもなく
食べることに欠くわけでもない生活が送れる時代と場所に生まれてきたことは
最高の幸運といえます。
そんなに恵まれているなら
日々心穏やかに、笑顔で朗らかに過ごし
他社に対して、この幸運を分け与えるだけの「余裕」もあるはずですが
自分が恵まれていることの自覚ができているかというと
実際には、なにか不足を日々感じて
心の中が快晴とはいかないものです。
ただ
悲しいこと、辛いことを経て人として醸成していく過程もまた
避けて通れない一生ですが
少なくとも、この世に人として生を受けたという幸運という「前提」は
日常の本当に些細な不満を抱いたときに
思い出せたらいいなと思います。
人と人とのご縁というのは
本当に不思議なもので
自分で望んだものもあれば、
ふとした巡り合わせで出会うものもあります。
少なくとも仕事においては
自ら手を挙げた結果、出会ってるものなので
それこそ、大切にしたいと思います。
大切にする、ということは
現状を甘んじて受ける、ということではなく
大切に考えた結果
変えたほうがよいことは積極的に変えていくということではないかと考えます。
過去からの習慣で同じことを繰り返しながら不平不満を愚痴っている職場も
世の中にあるようですが
不平不満を感じることは、現状の課題を見つける力と捉え
その仕事を担っていることは、その課題を解消するための機会をいただいたと捉えてみれば
愚痴るどころか、好奇心と向上心を満たしながら
自分の技量を上げていくために用意された『人生の舞台』と受け止めることも可能です。
前提は「自分は、あり得ないほどの確率で生を受けた、とてつもなく幸運な者であること」。
これは紛れもない真実。
「無理。出来ない」と、試す前から安易な結論を出さず
「自分が出来ることは何だろう」と能動的な発想を持つことを心掛けていくと
視界も啓け、道も開け、より明るい心境で日々過ごせることにつながると感じています。
今週も笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子