YPP月曜メール 私の思うことVol.451 【それ恕(じょ)か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ】
おはようございます。
未曽有の10連休でも、YPPではお仕事の方もいます。
今日もシフトに入ってくださる方に
心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
さて世間でもYPPのチャット内でも
「平成最後の…」という言葉をみかけますが
この月曜メールも、これが平成最後となります。
配信を始めたときには想像もしておりませんでしたが、
元号が変わる節目にも無事に書くことができ、
また新しい元号になっても書き続けていくことができるであろうこと
本当に有難いと思います。
年1回で訪れる年の瀬と元旦を迎える以上の「節目」を感じる今回は
私が一番好きな言葉を書いて、シェアさせていただきます。
この月曜メールは、私が大切にしたいと思うことを書いているのですが、
例によって「出来ているから書いている」のでは決してなく
むしろ「出来ていないからこそ、目に留まる」のであり
「出来ていないからこそ、やろうと努めることに意味がある」と考えています。
そして、もしかしたら「号によって目に留まる」という方には
同じことが当てはまるのかもしれません。
論語の一説に【それ恕か】という言葉があります。
弟子から「一生でこれだけを守っていったら良いという言葉があるか?」と
聞かれたことに対して
孔子が「それは恕(じょ)ではないか」と答えたという一説です。
論語では下記のように書かれています。
「一言(いちげん)にして以(もっ)て終身(しゅうしん)之(これ)を行(おこな)ふ可(べ)き者(もの)有(あ)りや」と。
子曰く、「其(そ)れ恕(じょ)か。 己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は、人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」と。
先生がおっしゃった。
自分が欲しない(されたくない)ことは人に施さない(しない)ことではないか、と。
「しなさい」「あるべき」という断定の言葉ではなく
自分がされたらいやなことは人にしないようにすることではないか?と
疑問文のような語りかけであることも、控えめな印象で心に残るのです。
古今東西、文化や人種が変わっても
自分がされたら悲しくなること、つらくなることを人に行わない。
それが大切なのではないか?と。
一見当たり前のようで、実はまだまだできていないからこそ
2500年以上もの遠い昔から、国を超えて、なお生きている「教え」なのでしょう。
大切なものは、身近にあって
やさしい言葉で語りかけてくれるもの。
無理に覚えようとしなくても、ふと思い出せることの中にあります。
それを何度でも思い出せる素直さを
平成から令和へと時代が変わっても
大切にもっていきたいと思います。
10連休を大切な方と穏やかな気持ちで過ごせるといいですね。
お仕事の方も、お休み中の方も
健やかな笑顔あふれる一週間になりますよう。
また来週「令和」になってお会いしましょう。
YPP
五味渕紀子