YPP月曜メール 私の思うことvol.442 【人には『価値を見いだす能力』がある】
おはようございます。
晴れが多かった関東の月曜日ですが
今朝は曇天で、雨が降り出しそうな空になっています。
さて今週も、先週に引き続き
渡辺一史氏の著書『なぜ人と人は支え合うのか』から
心に残った一節をシェアさせてください。
脊髄性筋萎縮症の海老原宏美さんの言葉です。
長いので前段は要約します。
縄文杉や富士山を観て、
自分はなんてちっぽけな悩みを抱えていたんだろうと思ったり
明日からがんばろう、と勇気をもらったりする。
でも杉はただの木、富士山は地面が盛り上がっている土の塊。
海老原さんいわく
「そこに価値を見いだして、感動したりしているのは人間の側なんですよ。
だとしたら、目の前にいる障害のある人間に対して、
意思疎通ができないからといって、何の価値も見いだせないっておかしくないですか?(笑)
それは、障害者に『価値があるか・ないか』ということではなく、
『価値がない』と思う人のほうに、『価値を見いだす能力がない』だけじゃないかって私は思うんです」
※(笑)も文中引用
『価値を見いだす能力』
意味づけをする能力と言い換えても良いかもしれません。
意味づけは、あらゆるところで日常的に無意識のうちに行われています。
いえ、自ら“行って”います。
すべては自分を助けるために。
誰しも良い方向に価値を見いだす能力を発揮できていたら良いのですが、
ともすると
怠けたい気持ちや、消極的であることを正当化するための意味づけも
つい、やってしまいがちです。
ちょっと脱線しますが、先日、友人と話していたら
「あなたに上から目線で話したことなど一度もない!」とある人に言われ
「そんな発言がそもそも上から目線だ」と感じた、という話を聴きました。
そして、自分もそっくり同じことを人に言ったことがあると気が付いた、と。
たしかに言葉は、発したほうにそのつもりがなくても
受け取った側がそう感じたら、一方にとって「事実」になります。
自分が感じる価値や意味と
相手が感じる価値や意味。
人と人との付き合いは
一瞬、難しい迷路に入りそうになりますが
シンプルに立ち戻れば、常に
「それを自分がされたら嬉しいかを問う」
それが答えではないかと思います。
「私はこう思ったのに」と憤懣やるかたないと怒っているとき
それは相手はどうか、ではなく自分からの一方的な目線。
心に余裕がある時には、そうはならないもので
「あの人にとっては、こうしてあげるのが良いかもしれないな」と
自分以外に思いを馳せることが出来ます。
失敗だって、価値を見いだす能力を発揮すれば
「良い経験ができたね」という言葉かけにつながります。
世の中が便利になりすぎて
思い通りにいかないことへのイライラが募りがちな社会で今、
「不便の益」ということが見直されているそうです。
何をもって「良し」とするのか
人は常に、幸福を求めて探求を続けています。
衝突を感じたときは、
ぜひ、自分側の目線ではなく、相手側の目線を意識して
『価値を見いだす能力』を
お互いが幸せになる方向でしっかりと“使いたい”と思います。
その力は備わっており、日々無意識に使っているもの。
使う方向を意識して使うと、もっと良くなる、と感じます。
なお、本日ご紹介した海老原さんは
映画「風は生きよ」にも出演されており、そのサイトで
「私たち、重度障害者の存在価値とはなんでしょうか」と
小池都知事にあてた手紙の全文が読めます。
http://kazewaikiyotoiu.jp/archives/2206
本を一冊読む時間がない方は
海老原さんの手紙、ぜひご覧ください。
今週も笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子