YPP月曜メール 私の思うことVol.615 【終わりのある仕事も終わりのない仕事も大事だと思う】
おはようございます。
我が家のある関東は、今週も梅雨の晴れ間で
夏日になる予報です。
青空が広がるのは嬉しいですが、雨の恵みが必要な季節。
あまりに晴れが続くと今度は水不足が心配になりますが、
今のところ、平年並みの雨量との予想にちょっと安心します。
さて。
突然ですが
掃除にしても洗濯にしても食事の支度にしても、、、
キリがない、と疲れることはありませんか?
(私だけ?(笑))
あれもこれも、とタスクが溜まると
感謝の気持ちより、
「ああ大変」と煩わしい気持ちのほうが
簡単に頭をもたげてくる気がします。
好きな食材を手に取ることができて
自分で調理も出来て、
ガスや水道がちゃんと使えて、、、
パッと蛇口をひねれば温水も出て、
(なんと、トイレからでも!)
よくよく考えると恵まれているのですが
毎日享受しているうちに、つい、当たり前になっています。
でも、溜まったお皿が10枚あっても、10枚洗えば終わるし
たたんでいない洗濯物が30枚あっても、30枚たためば終わるし
「作業」と名のつくものは、やればいつか片付くもの。
終わりがあるので、
その気になれば「終わらせる楽しみ」があるはずだなあとツラツラ思った時、、、
その逆の
「終わらないモノ」は何だろう、と考えてみました。
どんな仕事も大抵「終わりがある」もので
極端な話、自分の人生にも「終わりがある」。
なにか、日常の雑事に追われていると
「終わらないモノばかり」な気がするのですが、
では、本当に終わらないものは何か???と考えてみると、、、、、
よくよく考えると、答えに詰まります。
物事すべてに終わりは、あるようです。(宇宙にも)
ただ。。。
普遍的にテーマになっていること
「幸せに生きるには」などは
世代を超えて、終わりがないことかもしれません。
終わりがない、というより
正解が幾通りもあったり、
瞬時に(心の持ちよう次第で)手に出来るように思えるときもあれば
すっと手を離れて、永遠に手に入らないように思えるときもある。
終わりがない、というより
正解がぱっと出ないテーマを前にしたとき
深く思考することが楽しく感じられるばかりではなく、
なぜかとても深く辛く感じるときもあるようです。
ちょっと長めの「終わりそうにないもの」に正面から向き合うのが
しんどい、と感じるときには
一見終わらないようで「やれば終わるモノ」に向き合って
ひたすらコツコツと取り組んでいくと、日常的には完了のスッキリ感に出会えます。
(むしろ、終わっちゃってちょっと残念みたいな(笑))
さて、そんな終わりそうにないような「実はやれば終わるモノ」に
日々手を動かしながら、
心のどこかで、普遍的なテーマも抱えている私たちですが、
仙人みたいに達観できる境地になるのは難しい代わりに
モヤモヤとした気持ちが、やがて生きることもあるだろうなあと思い至りました。
なにか辛い出来事があったとき
同じ体験をした人が発する「わかるよ」という一言が
救いになることがあります。
例えば、大切な人を亡くして悲しんでいるときに
その体験のない人に「わかるよ」と言われても
「なにがわかる?」と思ってしまいますが
たとえ、隣にいるのが5歳の子供だったとしても、
同じ体験をしていたら「わかるよ」の一言が心に沁みたりします。
私たちが煩悶とすることで「育まれるもの」があるとしたら
それは、似たような体験者への「共感」なのかなと思います。
AIが発達して、人の仕事が奪われると言われて久しいですが
この「わかるよ」という共感は、おそらくロボットには難しい分野で
人がなすべき大事な仕事の一つになると思います。
そう考えると
今日この日、煩悶したことは
いつか誰かに寄り添うときに、とてもとても役に立つ経験で
その日のために、いま起きているのかもしれません。
(一年後、2022年6月20日は何に悩んでいたかサッパリ思い出せない可能性も大きいですが(笑))
終わる仕事もいいけれど、
終わりのない仕事も味わい深く、価値があるなと思います。
とはいえ、煩悶の真っただ中にいるときに、
そう思えるほど達観できないのもまた人間なので
そんなときは
去年の今日、何に悩んでいたかを必死に思い出そうとして
それが思い出せなかったら
きっと来年の今頃は違うテーマで悩んでいるんだろうなあ、と
未来の自分に気楽になってみるのも一手かな、と思います。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子