YPP月曜メール 私の思うことVol.522 【原因追及より目的にフォーカスすると景色が変わる】
おはようございます。
全国各地で強い風雨に見舞われている朝、
大型の台風の影響が気になるところです。
ある尊敬する方から薦められて、
心理学者アドラーの教えをかみくだいて書いた
『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著 ダイアモンド社)という本を読んでいます。
まだ途中まで読んでいる最中なのですが、
大変影響を受けて、じっくりゆっくり読み進めています。
嫌われる勇気というタイトルだけみると
なにか開き直りをするかのようですが、内容は全く違うもので
「自分を含めて、人を大切にするとは」ということが書かれています。
いかに(すべての人が)幸せに生きるかを探求した内容は、
福沢諭吉の言葉
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」にも通じていて
ご興味ある方はぜひ手に取って頂きたいなと思います。
さて前置きが長くなりましたが、今週はこの本から
これは日常の自分の処し方として「ツカエル!」と思ったことをシェアさせてください。
なにか人が行動したとき
(例えば感情に任せて怒ったとき)
今まで私は「物事は因果応報」
その原因を取り除くことが問題解決につながると考えてきました。
ところが、アドラーの教えでは
人は「目的」があって行動している、と捉えます。
つまり、怒りが先にあるのではなく
「目的(例えば相手を威嚇したい)」があって怒るという手段を使っていると考えるのです。
これを読んで、すごく腑に落ちたのです。
例えば、、、
自分がやる気が起きずに怠惰に時間を過ごしてしまうとき、
自分の性格や外部環境に「原因」を求めてしまうと
「だからそう簡単に変われない」と考えやすくなります。
一方で、
自分が怠惰に過ごす目的
「面倒なことを避けることを目指している」に気づいてしまうと
自分さえ目的を変えれば、行動も変われることに、『気づけて』しまいます。
原因追及でいくか、目的探求でいくか。
どちらを選ぶも自由ですが
自分の「目的」にフォーカスするほうが、
人生の操縦桿を握っているのは自分である、ということを自覚しやすいように思います。
原因を求める行為も素直に現象をとらえれば大変価値があると思うのですが、
自分の怠惰の原因追及などは、つい「できない理由探し」になりがちです。
(あくまで私の場合です)
それより「目的」を考えるほうが
「これからどうしたいか」「どうありたいか」「何を目指すか」と
おのずと視線は未来にむかいます。
そして怠け心の元にある「本心」もあぶりだしてくれるので
一石二鳥です。
言葉遊びのようにみえて、
ものの見方は、このようにほんの少し角度を変えてみるだけで
色々なことを想起させてくれる「チカラ」があり、
だから先人は、いろいろな真理を遺して下さるのだろうと思います。
もし今週
何か悩ましい出来事が起きたとしたら、
「なぜ・・・」と原因追及をする思考のクセを繰り返しそうになった時
次はぜひ「その目的は何だろう」と考えてみたいと考えると、
不本意なハプニングが「チャレンジの場」になります。
台風など天災の前には人はとても無力ですが、
せめて自分でコントロールできる「考え方」については、
出来る限り、よい視点・よい操縦法を身に付けていきたいと思います。
今週も学びと成長のチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子