vol.340 【仕事がしたいという気持ち】
おはようございます。
東京は曇天の朝を迎えています。
空気はひんやりしていますが
街中での桃や河津桜の開花をみると
もう寒い日もあとわずかだなと感じます。
南の方はすでに暖かく
北の方や山間部はまだ雪景色なのでしょうね。
さて、
YPPを創業する直前、
私は乳幼児を抱えて専業主婦をしており
育児に専念してもよい環境だったのですが
とにかく何かに突き動かされるように
「仕事がしたい」と思いました。
今以て不思議なのですが、
産後半年が過ぎたころ
出産前に仕事をもらっていたお客様のところに
産後に無事であることの挨拶をする口実で
訪問したときのこと。
「おかげさまで母子ともに健康にしています」と
挨拶するつもりが
社長に会って開口一番
「仕事再開の準備が整いましたので
ご挨拶に来ました!」と
言ってしまったのです。
自分でもなぜそんなに
仕事がしたかったのか、
その時、何も用意できていなかったのに
そんな言葉が口をついて出たのは
自分でも意外なのです。
独身時代も子供を授かる前も
仕事中心の生活をしていた頃は
仕事にまつわる様々な問題や悩みを抱えながら
仕事のない生活に憧れた時代もありました。
遊んで暮らせたら、ラクだろうなあ~と。
ところが実際に
仕事のない生活を経験すると
(家事という役割はあるのですが)
なんとも言えない寂しさや
社会から取り残される焦燥感で
満たされる気持ちとは程遠い心境になってしまいました。
きっとこれが
期限付きのお休み(産休など)であれば
違ったのかもしれないと思います。
いつまで仕事がないままなのだろう、
この先、出来ることが減ってしまうのではないか。
収入も心配だ。
自由に仕事が出来て収入を得ていた生活から一変し、
おそらく経済的な不安も大きかったと思います。
でもそれだけではない「何か」を渇望したことも確かでした。
何かが出来る自分でありたい。
社会と繋がっていたい。
役に立って感謝されたい、喜ばれたい。
性格や生きてきた背景は一人ずつ異なり、
大切にする価値観も一人ずつ異なりますが
「成長したい」欲求や
「喜ばれたい」「認められたい」欲求は
誰しも持ち合わせています。
いわゆる経済的な社会活動としての「仕事」をする上で
育児や介護やご自身の療養など
「仕事優先にできない事情」があると
この『承認欲求を抱くこと自体に
申し訳なさや罪悪感を感じる』ということが生じる時があります。
「そんなに十分に時間をとれない自分が
仕事を望んでよいのだろうか」と。
でも、それは望んで良い悪いの類いではなく
万人が望む「生きる欲求」の一つだと考えます。
むしろ、なんの不自由も感じず働ける状態の人よりも
「働きたい気持ち」がより鮮明となる分
『強み』と言ってよいかも知れません。
「働きたい気持ち」
「何かが出来るようになりたい気持ち」
その成長欲求は
自分で思っている以上に
自分を助けてくれる大切な要素です。
今から13年前、
何かに突き動かされるように
昔のクライアントのところへ出向き
何が出来るか分からないまま
「仕事出来ます」と宣言してしまった自分に
いま私は感謝しています。
あの一言があって
一歩踏み出したから
今の出逢いの数々がある。
時間を取り戻したくなるような
穴があったら入りたくなるような
失敗もたくさん体験しましたが、
数々の出逢いを経て
13年前よりも出来ることが増えた今、
あの時仕事を再開しなければよかった
とは決して思いません。
少子高齢化の日本
両立が必要な人、在宅ワークが必要な人は
今後ますます増える社会になります。
いま、十分な時間を仕事中心にかけられないからと言って
後ろめたく思う必要はなく
むしろ、
いずれ両立が必要となる人に先駆けて
トライしているのだと思いましょう。
「働きたい」
「役に立ちたい」
「成長したい」
その気持ちがあることが
まず働く資格の第一歩だと思います。
実際に挑戦を始めたら
想像通りにスムーズに行くことより
むしろ、まさかの失態に落ち込んだり
うまくいかない壁にぶちあたることの連続だとしたら
それは「新しいことに挑戦している証」であり
「成長の渦中にいる」ことに他なりません。
出来ることだけやる日々よりも
きっと未来の自分から
その選択を感謝されると思います。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子