おはようございます。
久しぶりに関東は、しっかりした雨の月曜です。
先週、新しい仕事は「不安製造機」になりがちだ
ということを書きました。
「不安」というのは
どうやら、わからないこととセットであることが多いようです。
「わからない」と同義語として「暗い」という言葉を使う一方、
反対語は、「わかる」「明らか」「明るい」となります。
先日、私ごとで恐縮ですが
もしかしたらと疑っていた
同居の義母の病状が
ようよう明らかになりました。
診断結果は想像した範囲のもので
特段驚くことではなかったのですが、
それでも「明らかになった瞬間」は
素直に表現すると、ショックでした。
治らないこと。
病状は進む一方であること。
でも、かなり緩やかであったり
人によって個人差があること。
よくもまあ淡々と告げてくれるなと
告知する若い医師に悪気がないだけに
現実をにわかに受け入れがたい気持ちも手伝ったのか
目の前の医師がとても配慮の足りない若者にみえて
内心、腹を立てながら聞いていました。
自分にとって(本人にも家族にも)
告げられた結果は
もちろん喜ばしいことではないのですが
それでも、ひとつだけ大きな良い変化がありました。
それは自然と
「明らかになった状況」以降は
関係者全員「では、今後どうしていこう」という話しになることです。
それまでの「わからない」状況では
次に何をしていこうという思考以前に
自分で決められない類のことなのに
「ああなのかな。こうなのかな」と逡巡する時間でした。
でも「わかる」と
もはやその逡巡には戻りません。
話が身内の病状で恐縮ですが、
たとえままならない生死の話しであっても
わからない状況とわかる状況では
「考えようとする中身が違う」ということをシェアしたくて書きました。
そして。
改めて
当たり前のことですが、
人は、いつか老いるのだと、
今当たり前のように出来ることも
やがて出来なくなる時が来るのだと
自由に動ける働き盛りの幸いを感じることとなりました。
かの松下幸之助さんが晩年の講演で
「君らの若さが本当に何より羨ましい」と
仰ったのを読んだことがあります。
お金以上に価値があるのが「時間」であり
その貴重な時間を
日々どう感じながらどう過ごすかは、
常に考えていても良いくらいに大切なことですが
どうも、すぐ、忘れがちです。
中には、大切な方を亡くしたり、
大きな災害や、病を体験され
日々本当に生かされていることを感じながら
大事に生きている方々もいます。
私のように
「時にその大切さを忘れがちで、何かがあると思い出す」
という人とともに
今週は、
今自分自身が出来ることの多さに感謝して
一週間の仕事をスタートしたいと思います。
今週も実践のチャンスの連続です。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子