YPP月曜メール 私の思うことVol.443【経験はなぜ宝なのか】
おはようございます!3月ですね。
今朝の関東は冷たい雨が降っています。
そして北のほうでは雪景色のところも多いと思いますが、
木々の芽の膨らみや
開花し始めた梅や桃に
春が確実にやってきているのを感じます。
さて、突然ですが
駅前でティッシュを配るアルバイトをやったことがあるでしょうか。
もし今日、冷たい雨の中で
ティッシュ配りを一日中やったとしたら
その日の帰り道、今度は自分がティッシュ配りを見かけた時、
その存在を無視するかのように通りすぎず、
きっと受け取ってしまうと思います。
何なら「ありがとう」か
「おつかれさま」と
声を掛けてしまうかも知れません。
営業アポ電話をかけたことは
あるでしょうか。
最近は電話営業自体が減ったので、
「けっこうです!」(ガチャンと切る)風景も見かけませんが、
もしもその前の日に
自分が一日中電話かけのアルバイトをして
何度も何度も
冷たい反応で切られたら
「自分は、こういう態度をしないでおこう」と内心思うでしょう。
そして次に自分が電話を取ったとき
少なくとも
あからさまに嫌な感じで切ることはもう出来ない。
「間に合ってます」と丁寧に答えて切るでしょう。
知らないということは
ともすると
知らないうちに
本人には自覚なく
人に冷たく出来てしまうものだなぁと思います。
例えば、スーパーで安売りのお野菜を沢山買って
余らせてしまい
結局、棄てる羽目になる、
なんてことを
何度もやってしまいます。
でもボランティアで農地を耕したり
腰をかがめて雑草を抜いたり
畑仕事をした後は
急に
「決して食べ物を無駄にすまい」と思います。
自分で畑仕事をしなくても、
畑仕事をしている様子や
丁寧に土を洗い落とし
袋詰めして
重たい段ボールをいくつも運んでトラックに載せている動画を見た
そして
「美味しいって思って食べて欲しい」なんて
インタビューに答えている表情をみたら、
それだけでも
「次からはもっとよく味わってありがたく戴こう」「食べ物を残し
背景を知ったり
自分も似たような体験をするまでは
気にも留めなかったことが、
知るだけで、見るだけでも
とても大切に感じられるようになる。
これは誰しも
経験していると思います。
人に優しくなれるには、
経験値を積んでいくこと。
年齢を重ねたら
若い頃のように身体が俊敏には動かない。
エスカレーターで隣を駆け上がっていかれると恐怖を感じる。
そんなことも
自分が若くて体力と気力が有り余っていた頃には
想像すらしませんでした。
子連れで出かけるまでは、
子連れ専用トイレも
一人の時に何の違和感もなく、
空いてれば広い方が気持ち良いと使っていました。
(子連れトイレの大変さが分かるようになると
一人で出かけた時にもなるべく大部屋は入らず、
一人用を選ぶようになります)
全てを体験することは出来ませんが、
体験したことからの学びを
『応用して考える』
『他にもまだ知らずにいることがあると気づく』ことは
大切だなと感じます。
最近、ネットで
なんでも叩く風習が
日本だけでなく広がっていますが、
身体を使った実体験が少ないほど
自分と違う立場の人になにかを思う想像力が育まれにくい気がして
主体的に生きて
自分で考えて
良かれと思ってやっても、
挑戦している人ほど
小さな失敗(失敗と呼ぶ必要はないかもしれないですが、
パッと見は「思った通りにうまくいかない」=失敗と感じてしまう
でも痛いと感じた体験から、
他の人が体験しているであろう痛みへの想像力が育まれ、
人を責めない
優しさが生まれる気がします。
体験は、
一つも無駄にならない。
そして
悲しいことや苦しいことが
次の世代への優しさに
繋がっていくことも
たくさんあります。
今週も
望んだことと
そうでないことが入り混じって、やってきます。
はからずも望んだことではないことがあったとしても、
それはきっと、少なくとも
誰かに優しくなれる体験につながっていきます。
今週も笑顔溢れる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子