Vol.427 【師を持つ大切さと、非を認める素直さと】
おはようございます。
11月も半ばを迎えようとしています。
暖かい日が多いので、
まだまだ秋も序盤のような気がしていましたが、
気づけば街路樹も色づき始めました。
自然界では冬支度に入っていることでしょう。
さて、
先週のこと
久しぶりに『仕事の師匠』にお会いしました。
私にメンターという言葉を教えてくれ
仕事とはなんたるかを
実にロジカルに教えてくださった方です。
出会ったのは失業当時。
フリーのライターを自称する
30代前半でした。
久しぶりにお会いして
直近の課題をお伝えしたところ
実にたっぷりと4時間
見事なまでに叱責されました。
年齢を重ねると
延々と叱られることは
滅多にありません。
お客様のクレームへ
お詫びに伺い
頭を深く深く下げることはあっても
懇々と説教してくれるほど
お客様が自分のために
時間を割いていただくことは
まず、あり得ません。
そう考えると
4時間にわたる叱責は
大変に有り難いものでした。
そして、
昔も同じことを言われたことを
思い出しました。
内容は違えど、
状況は酷似しています。
今の話は書けないので
昔の話を書きます。
かつてサラリーマン時代に
あることで
大変お客様を怒らせてしまったことがありました。
当時、広告営業マンだった私は
大変お世話になっていた社長に
仕事を褒めていただき、
「見積書よりも高い数字で契約する。(慣習により値引きしていたのですが定価に)書き直して持っておいで」とまで言っていただき、大変嬉しい思いをしていました。
ついでに職場の同僚が困っていた別の企画も注文をおねだりしたところ、
それも併せて快諾いただき、
今思えば有頂天になっていました。
そしてその同僚の企画で
仕事を進めていった時に
急に相手の社長の逆鱗に触れてしまったのです。
見積より高い金額で受注した仕事まで失注しただけではなく、
その会社を出入り禁止になってしまいました。
ただ、当時の同僚や上司までが
「そんなこと、怒る方がおかしい。相手の社長がよほど変わっている」と言ってくれ
私も、なぜ怒られるのか
手順通りにやっただけなのに、と
不本意に思っていた出来事がありました。
その出来事がなぜ起きたのか
ずっと不可解なまま
時を経て師匠に出会い、
そのエピソードを話して
問いました。
「なぜ、その人は怒ってしまったのでしょうか」。
言下には「私は悪くない」と師匠にも言ってもらえることを期待していたと思います。
師匠ははっきり一言。
「それは100パーセント、貴女が悪い」
そして、人の気持ちとは何なのか
私はどうその方の気持ちを踏みにじったのか、
相手の考え方や感じ方に軸足をおかず
自分の視点からしか物事を見ていなかった私の不明を
教えてくれました。
問題に出会い
なぜなろう、と考えている時に
自分に原因を見出せないうちは
その課題はたいそう難問に感じられます。
内心「私は悪くない」と思っているからです。
不思議なもので、
自分にこそ非があったと
理解した瞬間から、
やるべきことは見えてきます。
自分の至らなさをはっきりと知るため
かなり「痛い」と感じてしまうのは否めませんが、
それでも
答えが見えないように捉えていた時よりも
目の前の霧が晴れていくのを感じます。
もしかしたら、
心の奥底に
自分に非があることを
本当の(賢い)自分は知っていて
それにフタをした心境の方が
居心地が悪いのかも知れません。
とにかくこの久しぶりの叱責で
「私は悪くない」と思っている時ほど要注意だと
つくづく思いました。
原因を作ったのは自分だと思い至ると、
次からは
やって良いこと、
やってはいけないことを学べます。
学びは本当に尽きないです。
それにしても
4時間も人を叱り導くことの出来る師匠は
やはり凄いと感じました。
それだけ、辛酸をなめ
考え抜いて真剣に取り組んできたことが
体得に繋がることも
改めて感じました。
厳しくも温かい師を持つことと
自分の非を素直に認めることは
何かの腕を磨きたいときに
そして
物事の本質に向かうために
大変有効だと思います。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔溢れる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子