Vol.424 【和して同ぜすの心で進む】
おはようございます。
秋も次第に深まって来ましたね。
年末向け商戦の広告に
なんだか早くも気ぜわしさを感じてしまいがちな私です。
さて昨日の朝刊で
ソロモン・アッシュという心理学者が行った「人は周りの意見にどれだけ左右されるのか」という実験の話を読みました。
実験の内容はこうです。
明らかに正解が分かりやすく、
普通に回答すれば間違う人は1パーセントに満たないほどやさしい問題を出します。
ところが、
被験者以外が全員サクラで
全員で間違った回答をすると、
なんと
被験者の75パーセントが
正解ではない回答を選んでしまったというのです。
正解でないと承知している上で
周りに合わせてしまった人もいれば、
自分の考えを疑った人もいたそうです。
この実験はアメリカで1950年代に行われ、
「社会において集団の圧力が人に与える影響 『同調』について」その影響の強さを証明しました。
日本人の私は
どちらかというと
アメリカ人は
個々の意思表示を出来るイメージがあったのですが、
『人は周りの意見にいかに左右されてしまうか。自分以外の全員が同じ考えの時に、自分だけ異なる意見を表明しづらくなること』は洋の東西を問わず、人間心理として存在すると改めて知りました。
そこで何故、人の意見に『同調』してしまうかを私なりに考えてみました。
(ここからは全くの私見です)
人と違う意見を交わす時に
双方にその「異なる意見を尊重しながら議論する技術」や「フラットな考えと感じ方」が不足していると、
違う意見イコール自分への批判や非難のように捉えてしまい、
「意見が違うこと」という状況が
「快」よりも「不快」という経験値を持ちやすいのではないかと思うのです。
その「不快」を回避する行動が「同調」となるのではないでしょうか。
同じ景色を見て同じ物を食べても
同じことを頭に思い浮かべるのは至難の業で、
本来は違うことの方が当たり前なのですが、
「同じような考え方」「同意」を求めて安心するのもまた人間心理なのです。
違うことを
お互いに認め合いながら、
同じ目的に向けて
(例えば、
「快」や「幸福」「豊かさ」「安心」など
誰にとっても好ましいものの為に)
力を合わせようとするとき、
個々の考え方の違いや得意分野の違いがうまく噛み合わさり、
周りも自分も活きると、
存在を認め合う「安心感」や心地よさが生まれます。
違うことを当たり前とする考え方や、
異なる意見が集まることこそが物事の進展には欠かせないと考えること、
そして、
異なる意見を伝える時には
相手が受け取りやすい言葉を選び、
攻撃的な言葉は選ばないことなどを心がけていくと、
より多様な考えを活かせる集団となれるように思います。
『和して同ぜす』
周りと和やかに行うことの大切さと
同調ではなく自分の考えをきちんと述べる大切さが
日本ではこの言葉に込めて受け継がれてきました。
人間関係がうまくいくと
チームの難題も解決に向けて動き出します。
逆に人間関係がうまくいかないと
簡単なことさえこじれます。
つくづく人間は
一人では生きられない生き物なのだと痛感します。
何か課題が出たときに
『和して同ぜす』の言葉を思い出し、
物事の進展に
力強く挑んでいきたいと考えます。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔溢れる一週間となりますよう。
YPP
五味渕紀子