Vol.394 【求められる役割を果たすことの連続が成長をもたらしている】
おはようございます!
よく晴れて青空に満開の桜が映える関東の朝です。
今日は全国的にほとんどの地域で暖かな陽気に包まれるようですね。
早いもので29年度最後の月曜メール。桜の季節に「394(咲くよ)号」の語呂も合って、縁起がよいですね。
さて、昨夜のテレビ番組で「AI格差」という言葉が紹介されていました。
今までは体力的に人がやっていた仕事を機械が代わりにやる「機械化」が進んだ時代だったが、
これからは頭を使う仕事であっても定型的なものは「AI(人工知能)化」が進み、
人は非定型の仕事を担うことになる、という趣旨の話でした。
AI化というと人の仕事が奪われる、怖い、というイメージがどこか付きまといますが、
人の仕事が無くなることは決して起きず、
「人が担う仕事の中身が変わる」ということだと考えています。
では全員で慣れないAIを作る勉強したらよいのか
その答えは、YESでもあり、NOでもあります。
確かに今、AIをより高度にさせていく技術は世界中で求められており、
仕事の需給バランスでいくと
ニーズに対して出来る人が少なければ
それだけ重宝されることになります。
ただ一方で
AIを開発する仕事以外にも、
AIを使ってより便利な仕事のやり方を考え実行する「AI利用者」の立ち位置で仕事をする人も、多数求められてきます。
以前、この月曜メールでご紹介した「シンギュラリティ」という言葉を覚えていらっしゃるでしょうか。
人工知能が人間の知能全体を上回る地点および状況を示す言葉で、
その方向に世界が向かっていることは事実です。
パソコンにキーボードとマウスをつないで画面を見ながら仕事をするスタイルは、過去のものとなるかも知れません。
あと何年かしたら、タブレットやタッチパネルからもっと進んで
ウェアラブル=身につけた装置のAIに言葉で呼びかけながら仕事を進めているかもしれません。
ただ、どんなに技術が進んでも、社会にある課題解決もまた長い道のりを要します。
仕事とは、生活の糧を得る行為であると同時に
何かを解決するための行為の連続でもあります。
その「仕事の目的」を見失い、ただ決まった動作を繰り返していると
AIに仕事を奪われる、という将来像もあり得ますが
「仕事の目的」を感じている限り
その目的のために最適な手段を選択し続けることで、
AIを強く意識しなくても
必然的にAIを使いこなしながら
仕事をしていくことになるでしょう。
そう考えると
いますぐに出来ることは
AIの勉強ではなく
自分の置かれた立ち位置で
自分の仕事の意義や目的をどれだけ大きく長い視点で捉えていくか、
「ものの見方を磨くこと」の方が大切です。
どんな仕事も誰かの手により運ばれてきて
自分の手を離れて次のステップに繋がっていきます。
リレーのように仕事はバトンタッチされ続けているのです。
自分の走っている区間と自分の走りだけに夢中になっても
走ることは可能ですが
前後や全体のゴールを意識して走ることで見える景色や、大事にしたいことが変わってきます。
やがて、立ち位置を変え
ランナーからマネージャーやコーチ、監督のような立場を担うようになる可能性もあります。
最初はこなすべき作業を覚えるだけで精一杯であったとしても、
自分の区間を走れるようになったら
求められる役割を考えてみたり
前後を走る人のことを考えてみたりしながら進んでいくと、
走っている意味を幾重にも有意義なものと感じられるようになります。
どの仕事も作業そのものが依頼主や同じ職場の人を助けていることは勿論、
経験そのものが次にその仕事を担う人の手本となり、
時に痛恨のミスを犯したことさえが次世代の「宝」となります。
そして体験したこと、考えたことが
自分自身を形作ります。
焦らずとも、日々繰り返し
挑み、考え、時に悩むことが
成長に必要な「栄養」そのもの。
満腹と空腹を繰り返しながら
日々生きるように
知らないうちに
仕事を通じて私達は
自分に必要な栄養を採り入れています。
今日も求められる役割を果たすことが
必ず、だれかの役に立っています。
今週も笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子