Vol.350 【損を避けて通らない】
おはようございます。
関東は、初夏らしい眩しい陽射しの月曜を迎えています。
さて、この月曜メールは
私自身
実践し体験して感じたこともあれば
出来ていないことを痛感して
自戒の念を込めて綴ることがよくあります。
今日も自戒の念を込めて
綴りたいと思います。
日常生活の中で私たちは
「得か損か」で判断していることが多々あります。
買い物一つにしても、できるなら得な条件で買いたいと考えます。
何事も、できるかぎり、損はしたくない。
できれば、得したい。
これは人間の欲求として、ごく普通だと思います。
でも、こと仕事に関して
常に損をしない道ばかりを選択することは
長い目でみて
大きな損をしているように感じます。
一見、割に合わないなということを引き受けて
我ながら損な役回りだなと思ってやったことを
実は誰かがみてくれていて
後日、
そのことがきっかけで知り合った人に助けられ、実は損ではなかった、
むしろやっておいて良かった
自分のためになった、という経験は
みなさん結構あるのではないでしょうか。
逆に、頑として損な道を選択しようとしない人は
うまく立ち振る舞えたように当人が思っていても
周囲には「あの人は人の為に尽くさない人だ。自分の得にならないことはやらない人だ」と思われてしまい
自分ではそうと気づかないままに
評価を下げていることがあります。
中国の古い教えに
『積善の家に余慶あり』という言葉があります。
善行を積んだ家には、必ず良いことがある、幸せになるという教えが
今から2000年以上前から
現代に至るまで伝えられています。
はりきって善行をしよう!と思わなくても
日常のふとした機会に
頼まれごとはやってきます。
損をしたくない、損をしたくない
得をしたい、得をしたいと
つい考えてしまいがちであれば
ここは少しだけ意識して
今迄の考え方の習慣から路線変更をはかります。
自分の欲望は一旦傍において
頼まれごとを頼んできた人のことを思いながら
素直に「頼まれたのだから」と引き受けてみる。
すると
「やってみたら意外と面白かった」
「やってみなければ味わえないことが体験できた」と
損どころか、
むしろ声をかけてもらったことに感謝できることさえ起きてきます。
そうやって
「実は損と思ったことが損ではなかった」体験が増えるにつれ、
頼まれごとを引き受けていく心持ちも変わってきて
やがて
自分の考え方や判断基準、行動へとつながり
新たな日常を形作っていくのだと思います。
とはいえ、実践できる時もあれば
実践できない時もあります。
肝心なのは、
完璧を自分に強いるのではなく
より良い方向へと努めようと願う心持ちを長く続けることにあるとおもいます。
きっと
最初は、参ったな、かなわないなあと思って引き受けてみたことから
思わぬ恩恵や学びがあると思います。
もしも行動した結果
「何も感じなかった。学ばなかった」と思うのであれば
それは「学び方の感度がまだまだ高くない自分を発見できた」ということ。
学びの伴わない体験はないと思います。
今週も実践と学びのチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子