YPP月曜メール 私の思うことVol.613 【答えはあるようで、ないようで、やっぱりある】
おはようございます。
今日は全国的に雨のところが多いですね。
我が家がある地域は、窓の外が真っ白に煙るほどの雨量です。
コンクリートに降る雨粒では実感しづらいですが
これも穀物が育つ「恵み」の一つですね。
さて2週にわたって
「スマホ脳」を取り上げたところ
今までより反響が多く
いかに、私以外にもスマホとの付き合い方に悩んでいる人が多いかを
改めて実感しました。
健康であろう、というテーマに向き合えば向き合うほど
世の中にあふれる不健康を脳のセンサーが発見し
思い悩むことになります(苦笑)。
一喜一憂という言葉があるとおり、
喜喜喜・・・だけの日も
憂憂憂・・・だけの日もないのですが、
やっかいなのは、ひとつの「憂」が
「喜」よりも長持ちしやすい傾向にあることです。(私だけ?)
日々を充実させて健やかに生きる術を求めて
色々な本を読んでみると
新しい本にも、古い本にも
同じことが書いてあり、
古今東西の人間が長年かけて出した答えは
すでにあるのですが、
その実践には、なかなかに修行がいるようです。
例えば、、、
「利他の心」「他人を思いやる心の大切さ」というのは
古来からの偉人、詩人、哲学者、色々な人が書き遺し
読み継がれて「古典」として存在します。
いま、遺伝子や脳の研究が進んで
「健やかに生きる人の特徴」や「健やかな時の脳の状態」を
いろいろ実験してみた結果、
やはり「利他の心をもっているとき」であると
科学的にも証明されました。
はて。
そんな「正解」本を何冊読んだとて、、、(苦笑)
胸を痛める出来事は日々起きていて
「喜」よりも「憂」が心を占める時間が多いのは、どうしたものか。
そんな様子を
私の大好きな「仕事の神様」が上空から見て
「せっかく恵まれた(学びの宝庫の)環境を用意してあげたのになあ」と
嘆いていそうだなあとも思います。
そう。
「年齢を重ねても、もっと成長したい」と望んだからこそ
用意された「お題」なのは、アタマでは分っています(笑)。
でも、一つの言葉に、事象に、ついつい心は揺れ動いてしまうのです。
そんな今朝、行き着いたのは孔子の言葉。
「其れ恕か。 己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」
孔子が弟子から
「この世で教えは数あれど、一番大切にすべきことは何でしょうか」と聞かれたときの答えとして
「それは、思いやりの心ではないかな。自分がしてほしくないことを人にしないことだ」と答えられたという
論語の一節です。
その古来からの普遍的な教えが、
素直にすーっと入ってこなくて
「喜」より「憂」が辛いくらい心を占めてしまうとしたら
「人にしないことだ」の「人」の中に、自分を入れ損ねているかもしれません。
自分を含めて「人」を大事にする。
それがスマホのある現代に限らず
古来から(意外と)難しかったからこそ、受け継がれてきた(修行が必要な)教えなのかも、と
思います。
ところで
日本の女性は世界一睡眠時間が短いそうで(コマーシャルで見かけました)
世界一長寿なのに、すごい矛盾だと改めて思います。
長く生きられる可能性が高いのに、
日々、嬉しさより憂鬱さが勝っては、ほんとうに勿体ない。
「喜」を長持ちさせるには、
人の痛みに寄り添いつつも、
自分を健やかに保つ「休息」が欠かせません。
そう頭でわかっていても
「休息」の代わりに
スマホで情報を詰め込み過ぎる傾向がある日常があります。
ルールで縛るより
自由な選択ができる環境の中で
意識して「休息」を選びたいですが
どうしても、横並びでないと不安になる国民性もあるようで
ここは「ルール」を作ってしまったほうが早いのかもしれない、などとも考えています。
そこでもう一度、孔子の言葉を反芻します。
「其れ恕か。 己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」
大切な答えは昔っから出ているので、
それをどう活かすかは、現代人の腕の見せ所なのでしょう。
AIがどんなに発達しても、日々誰かを大切に思って思い悩む過程があるからこそ
美しい心が育つのかもしれません。
今週も、ぜひ、健やかで笑顔あふれる一週間となりますよう。
(スマホはくれぐれも使用上の注意を守りましょう(笑))
YPP
五味渕紀子