Vol.393 【盲亀浮木(もうきふぼく)】
おはようございます!
東京は桜の開花宣言が出ました。
三月は卒業シーズンですね。
今朝の通勤途中に袴姿を見かけました。
さて、今日は「ものの見方」を変えてみたい、ということから
一つの言葉をシェアしたいと思います。
ある事件性をもつ物語を観劇したのち
それを観た参加者に
登場人物の誰に共感したか、
誰は許せないと思ったか、
誰のせいでこの事件は起きたのか
アンケートを取ると
バラバラの答えが出るそうです。
事実は一つなのに、
育ってきた環境や個性により
許せる、許せないなどの
物事の見方は幾通りにも分かれる
という実験結果です。
そして
ここからが面白いと思うのですが、
その「ものの見方」も、その後に体験した出来事や状況により
同じ人でもまた変わっていくものです。
言われてみれば、日々の生活に不平不満があっても
大きな災害の直後は
生きていることにまず感謝できたものです。
私ごとで恐縮ですが
結婚して26年になります。
はるか前の新婚当時、なにかとケンカばかりになっていた時期がありました。
生活習慣が違うときに
相手の行動を楽しめたり発見もあるのですが、
「自分ならこうするのに」と決めていることに関して
自分と違う進め方にイラッとしたのだと思います。
掃除のやり方、お手洗いのタオルの使い方など、
他人から見たら本当にどうでも良いことで衝突していた気がします。
ところが今、
なにかと忙しくしている中で
やり方が異なろうとも
掃除も料理も
「やってくれるだけ有り難い」と心底思えるようになりました。
小さな変化ですが
「細かいことは気にしない」と、なかなか上手くいくものです。
うまくいかない原因や
イラッとする原因を
相手の言葉や行動に見出しているうちは解決しないことも、
自分のこだわり「こうあってほしい」を捨てて
「やってくれていることに感謝」と思うことが
イラッとした気持ちを鎮める早道になり得ます。
「盲亀浮木(もうきふぼく)」という孔子の言葉があります。
年老いた亀が百年に一度、海面に浮上してくるときに
偶然にも浮木があり、
その穴に亀が首を突っ込む。
それぐらい貴重な確率で
人が生まれて
お互いに出会うことの貴重さをなぞらえた言葉です。
出会ったことが奇跡。
生まれてきたことが奇跡。
当たり前だと思っていることは、実は奇跡の連続。
その奇跡の偉大さの前に
自分のこだわりは、どれだけの必要性があることか
見直してみると
そんなに執着することではなかったな、と気づけることもあります。
もちろん仕事では「細部に魂が宿る」と
こだわって、こだわって
考えることも大事です。
が、日常の中では
こたわりよりも奇跡であることに気づくことから
感謝の気持ちを抱く方が
穏やかな暮らしを手に入れやすい気がします。
「盲亀浮木」
目の前の奇跡に、是非感謝を。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子