Vol.391【尊い自然の一部としての存在を感じる】
おはようございます!
早いもので三月になりました。
いよいよ春めいて来ましたね。
私の住む街では、あちらこちらで桃の開花が見られます。
先月は枯れ枝にみえていた桜の枝にも蕾がついていて
あと1ヶ月足らずで開花を迎えます。
毎年この時期に感じますが
粛々とした自然の営みは尊いですね。
「自然体」という言葉がありますが、
どうも人間には欲があり、
その分、
力んだり不安に苛まれたり
表面的には落ち着いたフリをしつつも
内心焦っていることも多々あります。
自然体でいることに憧れつつも
自然体とは程遠い心境の日常があります。
ただ、喜怒哀楽があってこそ。
「人間らしさ」があるのが味ではないかと思います。
心配性の人も、怒りっぽい人も
「らしさ」から見れば
人間らしくて味があります。
パソコンや機械に溢れた現代社会は、
正しい答えが出ることや規則的に物事が進む割合も増えた分、
やや寛容さに欠けてきた傾向を感じます。
もともとの人間らしさ、
その人本来の持ち味を認めてみると
完璧であることは意味がないことに気づきます。
自分も自然の一部であり
尊い存在であり、
「人間味」を持っています。
それを熟成させるにあたり
日々なんらかの刺激があるのだと考えています。
時には「こんなの望んでいない」と歓迎したくないような刺激も含めて、
振り返ってみれば
すべての体験が自分の血となり肉となって、
自分を形成しています。
よく考えてみたら
ハラハラドキドキするのも
自然なこと。
泰然自若といかなくても
立派に世の中の自然の一部として存在しています。
今の社会にもう少し寛容さがあった方がいいな、と思ったら
自分の長所短所含めて
あるがままを受け入れることも
世の中の寛容さを広げる一助といえるかも知れません。
春の息吹から自然の営みの素晴らしさを感じられるこの時期、
自分の素晴らしさを改めて実感してみるのも良いかなあと思っています。
今週も学びと実践のチャンスに恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子