Vol.356 【生きる長さは決められないけれど、100年あるかも知れないので、焦らない、慌てない】
おはようございます。
今日の関東地方の予想気温は、軒並み35度越えで、数字を見ているだけで暑くなりそうです。
さて、先週の月曜メールでは、『生きる長さは決められないけれど、どう生きるかは決められる』とお送りしました。
今日一日は二度とない一日であり、
丁寧に大切に生きようと努めることは
とても尊いと思います。
と同時に、
自分の意志の及ぶ範囲外のことについては
思い煩っても変わらないのだとしたら、
未来の心配は、し過ぎない方が良いとも思います。
大変な状況だと感じる時
私たちは「この状態がこれ以上続くなら無理」などと気弱に思うことがあります。
ところが、冷静に考えてみると
「その状況」が未来永劫続くことの方が不可能で、
どんな状況も刻一刻と変化し続けています。
その変化がより良い方向への変化となるように
人は努力をするのでしょうが、
時に、逆方向に思えるくらいの回り道をしてしまうことさえあります。
それも含めて日々体験し、学び
自分の考え方や行動の習慣が形作られていきます。
回り道は決してしたくない、
自分は最短距離を行きたいのだ、と考えるのも自由。
回り道もまた良いじゃないか、と
考えるのも自由。
誰も変わってくれない自分だけの人生です。
最短距離を目指そうと肩に力を入れて邁進する日もあれば、
肩の力を抜いたら上手くいくのかも?とアプローチを変える日もありつつ
この試行錯誤は、たぶん
◯歳になったら終わり、というものではなく
幾つになっても挑戦したい何かがある限り、
一生続くように思います。
私は今、50歳。
昔は人生50年と言われた年齢です。
今は、平均寿命が80代後半で
私の世代がその年齢になる頃は
さらに医療もその他の技術も進化して
人間100歳が当たり前になるという予測もあります。
だとすれば、50歳は
貫禄のある年齢ではなく
ようやく折り返し地点。
まだまだ「未熟な挑戦者であること」が
許されるのだと考えます。
せっかく人類史上初の世界一の長寿大国を体験出来ているのであれば、
その良い面を味わって
できるだけ長いスパンで人生を(勝手に)妄想しても良いのではないかと思います。
今は、身体が病気で辛い時期かも知れません。
家族の状況により、自分の時間が僅かしか持てないかもしれません。
でもそれは未来永劫決して続かない。
もっと自由自在に物事に取り組める日はやってくる(可能性が大いにある)。
そう考えて、焦らず慌てず、
今できることの中に、やりがいや楽しみや、学べることを見つけていく。
そんな生き方の延長線上に
自分の予想を上回るような出逢いや
新たな境地が拓けてくる気がします。
今週も挑戦と学びの機会に恵まれています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。
YPP
五味渕紀子