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月曜メール

Vol.283 【すべては互いに補い合うための出会い】

おはようございます!
凛と冷えた冬らしい朝を迎えています。

週末は台湾の大地震や、軍事関連など大きなニュースが飛び込んでいました。

ご友人やご家族が台湾にいる方々はさぞかしご心配だと思います。

ちょうど地震が起きた直後の土曜朝は、
(まさかそのような惨事があったとは会場の誰も知らずに)
偶然にも、台湾留学中という経営者の方が一時帰国され
台湾事情のお話しを伺っていました。

とても世話好きで、前向きな国民性。

東日本大震災の時には、
日本の平均三分の一と言われる収入の一般家庭から
100億円の寄付が集まったそうです。

それが何日かけて集まったか。

わずか1日で寄せられたのでした。

そんな話を伺った直後のニュースに
本当に驚き、胸が痛みます。

多大な支援を受けた私達、現地に行けないまでも、住んでいる場所から出来る形でご恩に報いたいです。


さて。
本日の月曜メールです。

タイトルにある 【すべては互いに補い合うための出会い】とは
私自身、同居の義母との暮らしの中で
気づかされたことです。

たまにこの月曜メールでもお話ししていますが、
一昨年末に倒れて入院生活とリハビリを経て
80歳手前の義母は一人暮らしが叶わず
私達息子夫婦と同居しています。

現役時代は、家庭と夫の会社を切り盛りして精力的に働いた人でした。

段取り上手で働き者、料理もとても上手で
おかげで主人もその妹も多少ハードな仕事でも、丈夫な身体で過ごせています。

しかし認知症には勝てず、現在は、料理も段取り良くこなすことは難しい状況です。

何かしら役立ちたい気持ちは強く
私と一緒に台所に立ちたがるため
同居したての頃の私は
内心ハラハラ、正直にいえば
やりにくさを感じてしまっていました。

私も仕事と家庭とを両立する身
限られた時間にフル回転で食事の支度をしたいのですが、
義母が蒸している鍋のフタを開けようとしたり、
充分に焼けていない食材をヘラで返そうとするたび、
一人でやれたらラクなのに!と思っておりました。

けれどある時、義母が
「貴女は色々出来てすごいわね。
私は考えるのさえ、おっくう。
何かこれをやってと言われる方がラクでいいわ」
と言うのを聞いて、ハッとしました。

二人が台所にいて、二人ともが同じことしか出来ず、同じことをやりたがったら衝突しますが
二人が得意なこと、やりたいことが被らないのはとても幸いなこと。

違うからこそ、補いあって助け合える。

そこからは、
私は、指示をだし
義母が一つずつ出来ることをやる。

一見いままでとやっていることやシチュエーションは同じですが
「ああ一人でやりたい」とイライラしながら指示を出すのと、
「義母は私を助けてくれるありがたい存在」と思いながら指示を出すのでは
心持ちが変わりました。

「すべては補い合うために出会っているのだ」と思った瞬間から
本当に上手くまわりだしたのです。

(ひどい言い方ですが)
邪魔をされない方法を考える、というスタンスではどうしてもストレスが生じます。

常に私を助けてくれるためにここにいる
と感じながら、
「助けてもらえることは何だろう」と物事を見始めると
同じ「さがしもの」なのに
全く違う、変わるのです。

思い起こせば、以前の健康で自由闊達な時の義母との台所では、
義母がテキパキと指示を出し、
新婚当時の私はそれに従って、実家ではなかった新しい料理を学ばせてもらっていました。

教えたいと教わりたいが上手くかみ合うことで
ストレスではなく、交流の愉しみ、喜びがありました。


これは職場でも、どこでも
同じ法則があるに違いない、と感じます。

周りが「なぜ、自分と同じように動かないのだろう。こう考えないのだろう」と
責め心を抱くと、状況はストレスフルなものになりますが
「自分以外の周りの人は全て、自分にはない経験と考えを持っていて
補い合うために奇跡の出会いを起こした」
と考えてみる。

すると、それぞれが違うことが自然であり、歓迎すべきことであり
現状は、充分に満たされた状態であると感じることが出来ます。

そこに集う人がそれぞれ、
「周りが私と同じであってほしい」という欲求を抱くか
「私にはないものをそれぞれが持っていてくれてありがたい」との感謝を抱くかで
その場の雰囲気は、間違いなく変わります。

面白いな、と思ったら
ぜひ試してみてください。

今週も学びのチャンスに溢れています。
笑顔あふれる一週間になりますよう。

YPP
五味渕紀子

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